大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成4年(あ)1019号 決定

本籍

奈良県北葛城郡當麻町大字勝根二〇一番地

住居

同北葛城郡當麻町大字勝根二〇一番地の一

会社役員

中井文治

昭和一三年三月二五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成四年九月二五日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人尾鼻輝次ほか二名の上告趣意は、憲法違反、判例違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

なお、本件は犯罪後の法律により刑の変更があったときに当たらず、刑法(平成七年法律第九一号による改正前のもの)六条を適用すべきものではないとした第一審判決を是認した原判決は、正当である。

よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 可部垣雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

平成四年(あ)第一〇一九号所得税法違反被告事件

○上告趣意書

被告人 中井文治

右の者に対する頭書被告事件について、弁護人らの上告趣意書の要旨は左記のとおりであります。

平成五年三月十四日

右被告人主任弁護人 弁護士 尾鼻輝次

右被告人弁護人 弁護士 山中孝茂

右被告人弁護人 弁護士 豊島時夫

最高裁判所第三小法廷 御中

原判決は、本件事犯については、刑法第六条を適用すべきである旨の弁護人らの主張に対して、税法・刑法の解釈、適用を誤り、ひいて憲法第三一条、第八四条及び最高裁判所の判例又は控訴裁判所たる高等裁判所の判例に違反している上、その刑の量定が甚だしく不当で、最高裁判所の判例及び憲法第三一条に違反している。

第一 刑法第六条の適用遺脱の点について。

一 本件では刑法第六条を適用すべきであるという、弁護人らが第一審手続き以来主張してきた点につき、原判決は『所得税の税額改正が刑法六条にいう刑の変更に当たるとの弁護人の主張につき、これが採用できないゆえんは、原判決(第一審判決を指す。)が「弁護人の主張に対する判断」と題する項で説示するとおりであり、当裁判所も原判決の右判断を相当として是認するものである。』と判示し、刑法第六条の適用を肯認しなかった第一審判決の結論を是認し、第一審判決同様、刑法第六条を適用していない。

ところで、右第一審判決が弁護人の右主張を採用しなかった理由は「昭和六二年法律第九六号、同六三年法律第一〇九号各所得税等の一部を改正する法律の附則が、所得税法違反の罰金額の上限について、直接規定していないことは所論のとおりであるが、右改正法の各附則一条、二条は、施行日及び改正後の所得税法が適用される年度を定め、それ以前の年度分の所得税については、なお従前の規定によると規定していることからすると、本件昭和六〇年分乃至同六二年分の所得税については右各年度施行中の所得税法(租税特別措置法を含む)が適用になり、従って又免れた所得税の額もこれらによるものと解すべきであり、刑法六条を適用すべき余地はないものと言うべきである。弁護人らの主張は採用しない。」

というにある。

二 被告人が本件各犯行において秘匿した所得は、株式取引の譲渡所得、及びこれに関連する利子、配当所得であるが、右原審判決が是認した一審判決の右理由中、昭和六二年法律第九六号による改正(利子所得についてのもの)は、その附則第二条において

この附則に別段の定めがあるものを除き、第二条の規定による改正後の所得税法(以下「新所得税法」という。)の規定は、昭和六十二年分以後の所得税について適用し、昭和六十一年分以前の所得税については、なお従前の例による

と規定して、所得税についての経過規定を定めているほか、同第二八条において

第二条の規定の施行前にした行為及びこの附則の規定によりなお従前の例によることとされる所得税に係る同上の規定の施行後にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による

と規定して罰則についても経過規定をおいているから、被告人のほ脱所得中利子所得については、刑法六条の適用がないので、従前の弁護人の刑法六条適用に関する主張中、利子所得に対する所得税部分については理由がないので、これを撤回する。

三 しかし、同六三年法律第一〇九号による改正については、いわゆる罰則の経過規定を欠くから、右一審判決の理由説示は是認できない。

以下順次説明する。

1 昭和六三年法律第一〇九号(以下「法一〇九号」という)は、

(一) (所得税法の一部改正)の部において

その第一条で

所得税法第九条第一項第一一号(有価証券の譲渡による所得関係規定)を削り

同法八九条第一項の表(税率表)を改めた(従来の五〇〇〇万円超の所得に対する最高税率六〇パーセントとあるのを、二〇〇〇万円超の所得に対する同税率五〇パーセントとするなど税率を下げた)。

その他の改正部分は省略

(二) (租税特別措置法の一部改正)の部において

同法三七条の一〇及び同一一を改正したが、その大要は、これまで原則非課税だった上場株式等の売却益に原則として課税することとするが、その課税方法や課税額は、特別の場合を除き(被告人の場合は特別の場合に当たるものはない)納税者が、源泉分離課税制度と申告分離課税制度を自由に選択することができ、源泉分離課税制度によることを証券会社に届出ておくと、現物株式を譲渡したときは、売却代金の一パーセント、転換社債を譲渡したときは売却代金の〇・五パーセントの各所得税、信用取引により利益を生じたときは、その利益の二〇パーセントの所得税を証券会社が源泉徴収することにより、納税者の納税義務は終了することになり、一方、申告分離課税制度をとりたい納税者は、確定申告をする際株式売買の利益に二〇パーセントの税率をかけたものを申告すればよく、他の所得と合算する必要がなくなった。

株式等売買で利益を生じているときは源泉分離課税制度を選択する方が個人納税者に有利なので、個人の株式等取引の場合は、ほとんどが源泉分離課税制度による旨の届出をしている(被告人もその届出をしている)ので、給与所得者と同じように否応もなく右所得税を源泉徴収され、脱税の余地はない。

(三) したがって、法一〇九号の改正前、株式等取引によって得た利益を雑所得として他の所得と総合課税されていた多額納税者の納税額は、法一〇九号の適用を受ける平成元年四月一日以降は従前に比較して大巾に低下し、平成元年以降の総所得金額に対する脱額も著しく減少することとなった。

2 税額の改正は刑法第六条にいう「刑の変更」に当たる。

所得税のほ脱税額は、所得税法二三八条二項により罰金の上限となる旨規定され、罰金額算定の基礎となるものであるから、税額の改正も刑の変更にあたることは確立した判例、学説である。

〈1〉 大阪高等裁判所昭和二五年三月一八日判決(高裁刑特報一〇号四八頁)

証明器具の税率が犯罪時の一〇〇分の五〇から、裁判時までに一〇〇分の三〇に改められた物品税法違反事件につき「刑法第六条は一般的に犯罪後の法律によって刑の変更のあったときは軽きものを適用すべき旨命じており右税率が課税標準額の百分の五〇から百分の三〇に引下げられた以上、一応右法上にいわゆる刑の変更のあった場合ともいえる筋合がある」旨の判示部分がある。

〈2〉 大審院昭和七年四月一日判決(大審刑集一一巻三一八頁)

織物消費税の税率が昭和六年法四九号で、従来の織物価格の一〇〇分の一〇から一〇〇分の九に改正せられ、犯罪が改正前に行われ、裁判が右法律による改正後になされた事犯に関し、原審が「犯罪後の法律に因り刑の変更ありたる場合である」旨判示したのに対し、大審院判決は右判示そのものはこれを認めている。

〈3〉 参考学説

注釈刑法総則(1)三二頁

法律による刑の変更は直接的か間接的かを問わない。

罰金額算定の基礎となる税額の改正も刑の変更である。

旨述べられている。

3 刑の変更があった場合、犯行時の刑罰を適用するためにはいわゆる罰則に関する経過規定を要する。

これも判例、通説の確定しているところである。

(一) 判例

(1) 最高裁判所昭和三二年一一月二七日判決(集一一巻一二号三一三頁)は「刑法六条は犯罪後の法律により刑の変更がなされた場合に適用のある規定であって、本件の如く右地方税法一五一条三項の如き規定を設け、特に、従前の行為に関する罰則の適用については、なお、従前の例によるものとした場合には、従前の行為に関する限り刑罰規定については何らの変更を見ないのであるから、刑法六条はその適用の余地がないものといわなければならない」旨判示している。裏返すと、いわゆる罰則の経過規定がないと刑法六条を適用しなければならないことを宣しているのである。

(2) 前記大阪高裁判決は「刑法第六条は一般的に犯罪後の法律によって刑の変更のあったときは軽きものを適用すべき旨命じており右税率が課税標準額の百分の五〇から百分の三〇に引下げられた以上、一応右法条にいわゆる刑の変更のあった場合ともいえる筋合があるが右改正法附則第二項には「この法律施行前に課した若しくは課すべきであった物品税についてはなお従前の例による」旨の規定があり、また同第二十一項においては「この法律による他の法律の改正前になしたる行為に関する罰則の適用についてはなお従前の例による」と規定している結果、前記刑法第六条の規定は自らその適用の余地なきに至ったものと解するのが相当である旨判示している。

(二) 参考学説

前記注釈刑法三三頁に同旨の記載がある。

4 刑法第六条の適用があるのに新旧両法につき刑の比照をせず、重いものを適用した判決は、刑事訴訟法第四一一条第一号により破棄を免れないとするのが最高裁判所の判例である(最高裁判所昭和二六年七月二〇日判決、刑集五巻八号一六〇四頁)

5 法一〇九号の附則には罰則についての経過規定がない。

法一〇九号の規定を検討すると

(一) 法一〇九号の附則二条は

(所得税法の一部改正に伴う経過措置の原則)の見出しの下に

「この附則に別段の定めがあるものを除き、第一条の規定による改正後の所得税法(以下「新所得税法」という。)の規定は、昭和六十四年分以後の所得税について適用し、昭和六十三年分以前の所得税については、なお従前の例による。」

というものであって、右改正本文第一条には税率の変更等税額を減少させる改正規定が規定されているが、「別段の定めがあるものを除く」旨規定されているところ

(二) 同附則三条は

(非課税所得に関する経過措置)の見出しの下に

「新所得税法第九条第一項十一号から第十七号まで及び第二項の規定は、昭和六十四年四月一日以後に行われる同条第一項第十一号に掲げるオープン型の証券投資信託の収益の分配、同項第一二号に掲げる給付、同項第十三号に掲げる年金若しくは金品の交付、同項十四号に掲げる金品の給付、同項第十五号に掲げるものの相続、遺贈若しくは贈与、同項第十六号に掲げる保険金及び損害賠償金の支払い若しくは同項第十七号に掲げる金銭、物品その他の財産上の利益の所得に係る同項第十一号から第十七号までに掲げる所得又は同条第二項各号に掲げる不足額について適用し、同年三月三十一日以前に行われた第一条の規定による改正前の所得税法(以下「旧所得税法」という。)第九条第一項第十一号に規定する有価証券の譲渡、同項第十三号に規定する証券投資信託の終了若しくは証券投資信託の一部の解約、同項第十四号に規定する法人の資本若しくは出資の減少、株式の償却若しくはその法人からの退社若しくは脱退、同項第十五号に規定する内国法人の解散若しくは同項第十六号に規定する内国法人の合併に係る同項第十一号若しくは第十三号から第十六号までに掲げる所得又は同条第二項第三号から第七号までに掲げる不足額については、なお従前の例による。」

というものであって、

(三) これを有価証券の譲渡について要約すると「昭和六四年(平成元年)三月三一日以前に行われた第一条の規定による改正前の所得税法(以下「旧所得税法」という)第九条第一項第一一号に規定する有価証券の譲渡に係る同号に掲げる所得…については、なお従前の例による」旨規定され、右附則三条は右附則二条に言う「別段の定め」に当たるから、旧所得税法九条一項一一号の規定については附則三条が適用されると解される。

(四) 右のとおり法一〇九号附則三条により、本件事犯対象年度の所得(附則三条に挙示された諸規定はいずれも非課税所得に関するものであるから、所得税とせず、所得と規定されたものと思料する)については従前の例によるのであるから、改正前の所得算定規定が適用され、高額の所得ひいて高額の所得税が課税される。

同附則には右のとおり所得税ないし所得についての経過規定はあるが、いわゆる罰則についての経過規定はない。

6 税法において、税額の変更を伴う改正があった場合の罰則の経過規定

直接税中所得税について弁護人らが調査したところでは、資料が不十分なので確定的ではないが、罰則の経過規定については区々で、罰則そのものに改正がなく税額の変更のみの改正の場合と(判断される)のに、罰則についての経過規定があるのは

昭和二三年七月七日法律第一〇七号附則第四〇条第五項

同三八年三月三一日法律第六六号附則第一二条

同四二年五月三一日法律第二〇号附則第二一条

である。

間接税については、税額に変更のある改正のみで罰則に変更がない場合でも、いわゆる罰則の経過規定はすべておいているようである。

右法一〇九号においても、罰則にかかる経過措置として、附則四五条において酒税法に関し、同五三条においてたばこ税(旧たばこ消費税)に関し、同第五六条において石油税に関し、同第五八条において取引所税に関し、同第六一条において印紙税に関し、同七七条三項において物品税に関し、同七八条三項において砂糖消費税に関し、同七九条二項において印紙税に関して、同様経過規定がおかれており、そのほか同八八条、同九七条、同一〇三条も同様である。

7 本件において刑法第六条の適用を要する理由

国税当局や検察官は、法一〇九号に所得税法についての罰則の経過規定がないことを指摘されるや、同号による改正があっても、同法附則二条の規定によって、昭和六三年分以前の所得税については、従前の例による、とされているから、同年以前の所得税はその当時の税法により計算された税額に基づくほ脱税額が罰金刑の上限となるので差支えない旨弁解し、裁判所もたやすくこれに同調したのが、原審及び第一審判決であるが、これら判決は右前記各判例にも違反するのはもとより、右附則二条があって、罰則についての経過規定がないからこそ、刑法第六条の問題が生ずることを看過したことに基づくものである。

すなわち、右附則二条、三条があるので、同六三年以前の所得税については、各当時の税法による所得税額となり、法一〇九号の改正による同六四年以後の所得税額よりも高額となるのであって、ひいて、犯罪時の罰金の上限額より裁判時の罰金の上限額が低くなり、罰金額に変更を生ずるのである。

したがって、改正前の罰則を適用するためには、右附則二条のほかに罰則についての経過規定が必要となるのである。

このことは、織物消費税に関する昭和七年四月一日言渡しの大審院判決とも矛盾するものではない。

右判決は「改正法施行前に消費税を課すべき織物等については、従前の例による」旨の附則があった場合に関するもので、消費税だけでなく、右織物等についてのすべての規定(罰則を含む)についての経過規定があった場合に関するものである。

四 以上のとおり、原判決は、法一〇九号により、被告人の所得の大部分を構成する株式売買による所得及び税率等につき規定が改正され、右改正法によると被告人のほ脱税額は著しく減少し、ひいて犯罪後の法律により刑の変更があったから刑法第六条を適用し、新旧両法の比照をして、軽い改正後の法律を適用すべきであるのに、法令の解釈、適用を誤ってこれをなさず、特に罰金刑については法定刑を超過する判決をなし、ひいて憲法三一条、第八四条及び前記最高裁判所の判例又は控訴裁判所たる大阪高等裁判所の判例に違反している。

第二 刑の量定が甚だしく不当に重い点について。

一 原判決の懲役刑の量定に対する判示は次のとおりである。

「本件犯行の罪質、動機、態様及びほ脱結果等、ことに、ほ脱額が巨額であるうえ右三年度における平均ほ脱率も約九九パーセントという高率に達する相当大規模な脱税事件であること、犯行の態様は、家族・親族の名義や下請け業者の名義を借用して株式取引回数の分散を図るなど、計画的であること、蓄財を目的として株式取引による売買益を一切申告しなかったもので、犯行の動機に汲むべき点がないことなど、諸般の事情に徴すると、その犯情・刑責は軽視することができない。してみると、被告人は、本業の靴下製造業による収入については秘匿せずに申告していたこと、老人福祉施設に対する五〇〇万円の贖罪寄付を行って反省の情を示していること、前科前歴がないこと、うつ病の持病があることなどの被告人に有利な情状を十分斟酌しても、本件が刑の執行猶予を相当とする案件であるとは認められず(なお、本件後の税制改革で有価証券取引による所得に対する課税が見直され、仮に改正税制のもとで本件株式取引を行ったとすればその税額が本件当時より大幅に減少する可能性があることは、ある程度被告人に有利に斟酌すべき事情であるといえるが、これを考慮しても右の結論は変わらない。)、被告人を懲役三年に処したうえその執行を三年間猶予した原判決の量刑は、刑の執行を猶予した点で不当に軽いといわねばならない。……以下省略……」

二 そこで検討するに、原判決が右に量刑の要素として把握した事実の認定には、幾多の誤認があり、ひいてはそれが懲役刑の量定につき、実刑相当と認定する不当に重い結果となっている。

以下にこれを指摘する。

1 量刑の要素として蓄財を目的とする不申告を非難する認定について。

(一) この種事案のすべては、結局蓄財を目的とする不申告・ほ脱であり、これを挙げるだけでは、個別事案に対する量刑要素の検討にはなり得ない。個別事案に対する量刑要素の検討であるためには、蓄財のよってきたる事情事実を適確に把握・認定し、これを量刑の要素にしなければならないものである。

この観点に則して本事案をみるに、被告人が第一審法定で、検第七六号証の検察官に対する供述録取の「転業資金の蓄積」を明確に否定していることで明らかなとおり、被告人が株式取引を始めたのは、本業の靴下製造業の原糸を扱う会社の株式、つまり業界の経済状況を知るという、経済人としての正常な動機に由来するもの(検第五八号証)であり、企業家としての正常な研究心に端を発するものである。そもそも、株式取引によって蓄財が可能なのは、投資資金の額により、株価を左右できる程の資金運用力のある少数の職業投資家に限られ、被告人程度の資金運用で成功するものではなく、現に大損の経験もある被告人が、目的用途のため蓄財を目的にしていたという原審の認定は、右事実に照らし経験則にも、被告人の意思にも反する事実の誤認である。

そして、訴因年度に被告人がたまたま訴因額の売買益を上げることになるのは、第一審公判廷における証人中井加寿代の証言その他、弁証第四四、四五、五四、五五証等被告人の診断書類で明らかなとおり、昭和五七年ころに発病している「うつ病」が年を追って悪化し、同六〇年ころからは本業の経営にも支障のでる体調になり、株式売買の意欲も冷め、持株の処分・手仕舞に入ったこと(本人の法廷供述、検第五八号証)が、当時のバブル景気の時流に合い、たまたま相当額の売買益を生む結果となったに過ぎないものである。

(二) また、訴因額を構成するのは、株式売買及びこれに関連する利子、配当益のみであり、これら所得に対する申告の意思が無かったことは疑いないが、この点についても、一審以来被告人、弁護人が主張しているように、税制の不備、税務実務の扱い、これに対応する国民の株式取引利益に対する申告状況から窺われるとおり、実際問題として被告人に本件株式取引による直接、間接の利益を申告することの期待可能性はなきか、なきに等しい状況下にあったことを考慮すると、国の失政はこれを黙過し、被告人の不申告のみを強く責めるのは公平を失するものである。

すなわち、

(1) 株式取引は既に三〇年以上も以前から国民のほとんどが手を染めるようになり、経済界は株式市場を通じて広く国民から資金の供給を受け、証券市場における取引が国民経済活動に占める割合は逐次増大してきた一方、危険な投資ないし投機であり、これによって儲けるときもあれば損することも多く、一般的には株式取引は長期間通算すると、結局素人は損失の方が多いことも経験則の示すところであり、公知の事実である。

(2) ところで、国は、一般的に損益状況が年分によりあまり変化のない事業所得や不動産所得については青色申告制度を採用して、青色申告者に対しては、ある年分について損失が発生すると、その年分の損失を次の年分に繰越したり、前の年分で納税した税の繰戻し還付を受けられる制度を導入して、正直に申告して税金を納付していると、損失を生じたときには、その補償をすることとしている。

(3) ところが、国は、証券市場を通ずる株式取引については証券会社に正確な記録があるので調査資料には事欠かず、かつ、株式売買の損益は常ならず、その上、その金額も相当多額にのぼる納税者が多くなっているのであるから、早期に、株式取引についても青色申告制度を採用し、納税者が利益を得れば税を徴収するが、損失を生ずればこれを補償する制度をとって、納税者が安心して正当な所得を申告できるようにすべき義務があるにもかかわらず、株式取引を事業として行わない一般多数の国民に対してはこれを非課税所得又は雑所得として取扱い、株式取引について青色申告制度を適用する制度をとらなかった(損失の繰越、繰戻しも認めない)。

(4) したがって、株式取引である年分に例えば一〇億円儲けた納税者は、本件事犯当時の税率によると、国税、地方税あわせて約八〇パーセントの税金の納税義務を生じ、結局手許に残るのは約二億円となる。

ところが次の年分で株式取引により一〇億円損をすると、その損は自己負担となり、二年分を通算すると損益零でも、その納税者は八億円の税金の支払義務があるので、八億円の資産を減らすこととなる。

(5) このように納税者が儲けたときには多額の税金を徴収されるが、損をしてもその損失は自己負担となる租税制度のもとでは、納税者が防衛本能上、儲けたときの利益を保有しておいて、損失が生じたときの準備としようとすることは情理として認めざるを得ないが、これが脱税とされるのである。

(6) アメリカや英国では、このような不合理を排するため、株式売却損については我国と異なり他の所得との損失通算を認めたり、繰越控除を認めており、我国においてもその検討をようやく開始した旨報じたのが原審において弁護人が弁論要旨に添付した平成四年五月一〇日付け産経新聞の記事である。

(7) 右記事を契機として、サンワ・等松青木監査法人編、海外税務ハンドブック(昭和六二年八月一〇日改訂版)によって調査したところ、以下のとおり、欧米諸国では株式譲渡損失があれば、その損失は繰戻しされたり繰越したりする制度であった(但しドイツは六か月以上所有の株式に適用)。

〈1〉 アメリカ同書五五頁、〈5〉キャピタル・ゲイン又はロスの項。

〈2〉 カナダ同書一〇七頁、一〇八頁、(7)キャピタル・ゲインの項。一二六頁、7給与所得以外の所得の項。

〈3〉 イギリス同書一九八頁、(3)キャピタル・ゲインの内〈2〉賦課基準と税率の項。

〈4〉 ドイツ同書二四五頁、〈7〉資本利得の項及び(3)損失の救済措置の項。

(8) 以上(1)ないし(4)記載の理由で現に、一審で提出した弁五号証のとおり、株式等取引による利益を自主的に申告したのは、昭和六一年度分で一八六件にすぎません。これも何かほかの調査で発見されたので申告をしたのも含まれていると思われます。

税務の実務上も昭和六三年までは、右のような事情もあってか、株式取引に対する調査はほとんど行われることはなかったのです。

(9) 大損の経験もある被告人としては、この法制度の元で、株式取引を行っている国民の殆ど総てが採った自衛態度に習っていたに過ぎず、ひとり被告人を罪責が軽視できないと責めるのは酷に過ぎるものである。

(10) これまでの株式取引による脱税事犯については、裁判所も株式取引による利益の特異性や税制の不備、行政の欠陥等を考慮されていると見えて、原審における検察官証拠請求番号24号、33号、43号、46号事件はいずれも本件被告人の事犯と類似性があるが、いずれも懲役刑については執行猶予を付している。

(11) 以上の諸点からすると、被告人の本件事案の動機・態様は、本業について蓄財目的の一般脱税事例に比べ、むしろ斟酌すべき態様の事例に属する点を、原判決は看過・誤認しているといわねばならない。

2 ほ脱額が高額で、ほ脱率が高いことを非難する点について

本件事犯当時の社会経済的背景が、企業と個人を問わず、不動産投資・株式投資に過熱していた、いわゆるバブル景気の時期であり、しかも証人志水恒三の証言でも明らかなとおり、当時の有価証券取引に対する歪みのある課税制度に自衛して、株式投資に走った殆どの者がその売買益を不申告にしていたのであって、更に、株式取引については証券会社に取引内容がすべて正確に記載されているので、申告をすれば、ごくその一部を除外しても課税庁にこれを発見されるから普通の事業経営者が所得額の一部を除外して過少申告をして脱税するという一般的脱税方法はあり得ず、脱税するなら株式取引利益の全額を脱税してしまうことになるという特殊の事情があるのである。また、弁護人ら立証(弁第一〇号証ないし三七号証)のとおり、被告人の脱税額に比して、問題にならない高額所得者が多数処罰を免れていたことは公知の事実でさえある。

これらの背景事実を考慮せず、ひとり被告人のほ脱利益を高額・高率として実刑に値する量刑要素と認定する原判決の非難は、刑罰に最も必要な権威と安定性のため、その量刑が公平と妥当性をもつものであらねばならない点を、原判決はこの考案を著しく欠いている。

3 借名取引を強く非難する点について

当時のこの種利益に対する徴税制度が、一定の取引回数・取引高の枠内取引については、原則非課税であったため、枠内取引であることを装う工作として借名取引が行われるのは、この種業界では公知の事実であり、万人が採った方法である。なお検第三三、三四号証で明らかなとおり、まして被告人に借名取引を薦めたのは仲介業者であり、これがこの種業者の営業方針であることももはや公知の事実である。これを大きく被告人の量刑要素として取り上げ、ひとり被告人を強く非難する原判決の判断は甚だしく失当である。

4 原判決は、本件後有価証券取引による所得に対する課税制度の改革があり、改正税制のもとでは、税額が本件当時より大幅に減少する可能性がある旨認定し、このことは、被告人にある程度有利な情状に過ぎない旨判断して、実刑相当の結論は変わらない、と判示している。

有価証券取引に関する税制改正で、本件の税額が本件犯行当時より大巾に減少することは一審において提出した弁一号証において明白であって、単に、その可能性があるのに過ぎないものではない。しかるに原判決は、右大巾な税額の減少を単に可能性に過ぎないと認定しているところに、公平な判断を欠いていることを窺うに十分である。

また、脱税額は前記のとおり、罰金額の最高額を決定するものであり、罰金額は懲役刑とも連動するのが、この種事犯の量刑の慣行である。

刑事訴訟法二四八条は「犯罪後の情況」をも不起訴処分を相当とする判断基準の一つとして挙示しているが、右事情は刑の量定の際考慮すべき事項の例示とすること判例である(最高裁昭和二五年五月四日判決、刑集四巻五号七五六頁)。

したがって、本件のように有価証券に関する大巾税制改正、税率変更等により被告人の脱税額が大巾に減少したのに、これを些細な情状としか見ない原判決は、右最高裁判決にも違反する。また、税制の改革が斉すところは、課税額の減少に止まらず、その徴税方法の改革が、個人取引者には有利な源泉分離課税方式をも採用した点で、個人の取引納税者には、現実的に脱税の余地が無くなり(念のため、源泉分離届けの写しを添付する。)、本件被告人についても、再犯の虞れが現実に皆無になったのである。

この種事案の量刑上、国家財政に対する侵害の一般予防の観点から量刑を図ることも、重要な量刑要素としての判断であるべきところ、本事案については、法改正により、もはや右侵害の虞れも無くなって、一般予防の見地からする量刑の必要は無いのである。原判決は、被告人にとってこの重要な要素の考量・判断を欠き、実刑相当の判断を示したのは、重大な誤りを犯しているといわねばならない。

5 脱税犯に対する処罰の理念をどう考慮すべきかについては、弁護人らが第一審の弁論で縷々述べたところであるが、国家財政に対する侵害の一般予防の見地に立つにせよ、現侵害に対する応報の見地に立つにせよ、行政犯に対する処罰の相当性を欠いてはならないというべきである。

本件について、なお応報の観点から考量するに、原判決では、この点の考量をも尽くしたごとく判示してはいるが、原審答弁書七〇頁にのべたとおり、被告人は、本件事犯により、制裁税を含む国税・地方税として、昭和六〇年、同六一年各分は、各年分の実際所得より多い税額、同六二年分についても実際所得額に殆ど近い額をそれぞれ完納し、応報としても、社会的制裁としても、これ以上のものは無い非難に対し、これを果してきている。

そのうえ、本件の発覚により、本業に必要な従業員の半数にも離反・退職され、現不況下本業の経営にすら窮地に立たされる社会的制裁も受けているのである。

にもかかわらず、原判決は執行猶予を相当とする案件とは認めないというのでは、本業をも潰滅させる処罰をも科するもので、右の実態に対する必要な考量を欠いている。

6 贖罪寄付の意味について。

被告人のした贖罪寄付の反省の意味には、老人福祉に対する社会的貢献の事実みならず、再犯しないという被告人の反省と決意が込められており、量刑上重大な意味があるのであるが、原判決はこのことを看過した誤りを犯している。

7 「うつ病」の持病について。

本件事犯による科刑と病気との関係について、原判決の考量は、被告人の「身から出た錆び」の例えの範囲の情状としか理解していないが、この病気は医学上治癒しがたく、活動意欲が削がれる特種な病気であるが、経済不況が深刻に響いている現在、被告人の本業活動がこの病人の双肩にかかって、細々維持されている状況にあり、被告人の実刑・収監は病気の悪化・廃人化を招く虞れが濃厚であるのみならず、本業をも潰滅させる過大な刑罰となる虞れが大である。

原判決のこの点に関する考量は、刑政の目的を逸脱した厳刑を容認するに等しく、十分有利に斟酌したと判示しながら、斟酌しているとは認められない。

三 これを要するに原判決は、被告人に対する有利な情状については、十分斟酌したとしながら、それが持つ深い実態に考量を巡らして正確な事実を把握することをせず、かつ、不利な犯情については、過大に誤った考量を巡らす等、判決に影響を及ぼす重大な量刑事実の誤認の数々を犯し、ひいては、処罰に必要な公平・妥当な量刑から離れた考量のもと、甚だしく不当な懲役刑を量定したものである。

四 更に、原判決は、「また、以上述べた各事情、ことに本件ほ脱額の大きさに照らすと、原判決(第一審判決を指す)が被告人を罰金一億円に処した点も、その金額が低額に過ぎ不当であるといわざるを得ない。」として、第一審判決の罰金額の判断をも破棄し、罰金額を二億円と倍増するに至ったが、既述のとおり数々斟酌すべき有利な情状がある上、被告人の本件によるほ脱本税・制裁税の完納額は、各事業年度の全所得に匹敵する額を納付しており、更にこの上被告人に二億円の罰金を科することは、国に対して被告人が、著しく過大な金額の納付を命ずることになり、昭和四五年九月一一日の最高裁判所第二小法廷判決(最高裁判例集二四巻一〇号)が趣旨とする、罰金額は重加算税の額をも考量して決めるべきものとする判例に違反し、甚だしく重い罰金を科している。

第三 よって、原判決は、いずれの観点からするも、これを破棄すべきであり、更に適正な判決を求めるため、上告に及んだ次第である。

以上

〈省略〉

平成四年(あ)第一〇一九号所得税法違反被告事件

○ 上告趣意書字句訂正申立書

被告人 中井文治

右の者に対する頭書被告事件について、平成五年三月一四日付、弁護人らが差し出しました上告趣意書の字句を、誤記により、左記のとおり訂正します。

平成五年三月一九日

右被告人主任弁護人 弁護士 尾鼻輝次

右被告人弁護人 弁護士 山中孝茂

右被告人弁護人 弁護士 豊島時夫

最高裁判所第三小法廷 御中

右上告趣意書の三二頁一三、一四行目「二億円と倍増」とあるを「一億五、〇〇〇万円と増額」に、同趣意書三二頁一六行目「二億円」とあるを「一億五、〇〇〇万円」と、それぞれ訂正します。

以上

平成四年(あ)第一〇一九号

所得税法違反 被告人 中井文治

平成七年一月吉日

右被告人弁護人 弁護士 豊島時夫

最高裁判所第三小法廷裁判官各位 殿

明けましておめでとうございます。

皆様良い新年をお迎えになったことと、心からお慶び申上げます。

さて、標記事件につき小職らが作成しました上告趣意書に記載しました刑法六条に関する上告趣意は、同条違反等を理由として上告中の他の案件についての記述と比較したところ、記述すべきところを記述しておらず、記述にも誤りがあったほか、これまで、所得税法においても刑(罰則)に変更があったときは、いわゆる罰則についての経過規定を必要と認めて、これをおいていたから、本件のように税額に変更があったときは罰則に変更があったとすること判例、学説に争いのないところであるので、罰則の経過規定がない以上本件に刑法六条を適用すべきものであるという、平凡ながら分り易い、まるでコロンブスの卵のような条理を天啓のように思いつきましたので、ここに謹んで上告趣意書補充書を提出しますから、なにとぞご閲読賜りますようお願い申上げます。

以上

平成四年(あ)第一〇一九号

○ 上告趣意書補充書

所得税法違反 被告人 中井文治

右被告人にかかる頭書被告事件について先に提出した弁護人らの上告趣意書を左記のとおり補充、訂正します。

平成七年一月六日

右被告人弁護人 弁護士 豊島時夫

最高裁判所第三小法廷 御中

弁護人は先の上告趣意書において、原判決が本件事犯について刑法第六条を適用しなかったのは税法の解釈適用を誤った違法がある旨主張したが、記載内容を次のとおり整理、補充する。

一 上告趣意書七頁六行目の「多額の納税者」の上に「被告人を含む」を加える。

二 同趣意書八頁一三行目と一四行目の間に次の一行を加える。

「現代法律学全集25刑法総論莊子邦雄九四頁」

三 同趣意書一〇頁の4項全部を次のとおり改める。

4 「刑法六条の適用がある場合は新旧両法につき刑の比照をすべきであるとするのが最高裁判所の判例である。

(一) 最高裁判所昭和二四年一〇月一日判決(刑集三巻一〇号一六二九頁)

「罰金額につき変更があったので刑法六条に従い軽い行為時当時のものによる」とする判旨」

(本件にまさに適用すべき判例である)

(二) 最高裁判所昭和二五年三月三一日判決(刑集四巻三号四六二頁)

「犯罪後罰金等臨時措置法によって法定刑が変更させられたときは、新旧両方の刑を比照すべきである」とする判旨

(三) 最高裁判所昭和二六年七月二〇日判決(刑集五巻八号一六〇四頁)

「犯罪後の法律により刑の変更があったのに、新旧両方につき刑の比照をせず、重いものを適用処断した判決は、刑訴法四一一条一号により破棄を免れない」とする判旨」

四 同趣意書一三頁九行目の「附則三条」とあるのを、「附則二条(基礎控除、税率変更等)及び同三条」と改める。

五 同趣意書一四頁七行目の「昭和二三年」以下の一行を削除する。

六 同趣意書一四頁九行目の「二一条」の次に「(条項変更あり)」の字句を加える。

七 同趣意書一五頁六行目と七行目の間に次の字句を加える。

「(一) 従来の刑変更の際の規定上明らかである刑法六条適用の必要性

(1)ア 直接税、本件では所得税法であるが、同法において従来罰則(刑罰)そのものに変更があったときは、常に、いわゆる罰則についての経過規定をおいていることは公知の事実である。

イ 右経過規定があることによって、刑法六条の適用がないと解されてきたことも前記判例、通説の示すところである。

(2) 税額の変更も刑の変更に当たることは前記のとおり、判例通説の示すところである。

(3) 法一〇九号によって、所得税額は前記のとおり有価証券の譲渡益に関する法令の改廃、所得税法中税率の変更、基礎控除額等の変更により、従来より所得税額が著しく減少したことはその規定によって明白である。

(4) したがって法一〇九号によって税額が従来より少なく変更したことになるから、刑(罰則)の変更があったことになる。

(5) しかるに、右法一〇九号には、右税額の減少変更についての罰則の経過規定がないから、刑法六条を適用して、税額の減少している裁判時の罰則を適用すべきものである。

(6) 所得税に関する経過規定と罰則に関する経過規定が別個のものであることは従来の例によって明白である。

(7) よって本件について刑法六条を適用すべきことは右理由のみによっても明白である。」

八 同趣意書一五頁七行目の「国税当局」の上に番号として「(二)」を加える。

九 同趣意書一六頁一四行目の次に次の字句を加える。

「8 なお、法一〇九号の規定により算出される現時点の被告人の脱税額は前記のとおり極めて僅少のものとなる以上、刑の量定は罰金刑のみならず自由刑についても新法による脱税額を基準とすべきものとなる。」

以上

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